2009年07月01日

財産の共有を目指す思想である

共産主義(きょうさんしゅぎ、英Communism / 露Коммунизм)とは、財産の共有を目指す思想である。共産主義思想の一つの潮流であるマルクス主義では、生産手段の私的所有を社会的所有に変えることを目指す。また、この思想に基づく体制も共産主義と呼ばれる。共産主義は社会主義の一つの潮流であるが、ソ連や東欧の共産党政権下においては共産主義の低い段階を指す語としても社会主義が使われた。
スキューバダイビングに挑戦!
素肌のエクステ
ゴルフレッスンの日々
こだわりのレストランを探そう!
クラシックのグッドナイト
アロマタイムスイッチ
コスメ・メイク図鑑博士
ひまわりの天気予報
セレブな快適通販・取寄せライフ
キャンプねっと。ファミリー特集!
クリームソーダで保険比較
賢く検定・大好き
首都圏の素敵な部屋
車で行こう!道しるべ
WEBマーケティングノウハウ
フラワーパークで春夏秋冬体験講座
40歳の素敵な出会い
はじめての投資に挑戦
ウサギの人材派遣でお仕事
クロールアイドルNO1
こだわりキャンプ術
うらないカフェの秘密の部屋


共産主義の概念は、古代に遡ればプラトンにも見られるが、歴史上、現在使われる文脈とほぼ同じ意味で“共産主義”という語を用いた最初の人物はフランソワ・ノエル・バブーフである。この語の由来はラテン語で共有、共通、共同を意味する“communis”であり、歴史的に最も早い使用例はシルヴィ父子によって書かれた『理性の書』(1706年)である。その後、フランスにおいて社会主義、共産主義が20世紀に使われたような文脈で初めて使用された。19世紀・フランスにおける共産主義思想をドイツに紹介した人物はローレンツ・フォン・シュタインであった。マルクスはシュタインの著作である『今日のフランスにおける社会主義と共産主義』(1842年)を読み、ここから自身の思想を展開することになる。

エンゲルスは1880年に発表した『空想から科学への社会主義の発展』の中で、空想的社会主義思想家としてサン・シモン、フーリエ、オーウェンの三人を挙げて評価・批判するとともに、社会主義の思想が空想から科学へと発展していく歴史的必然性を述べている。

2009年06月13日

公開鍵暗号方式の厳密な定義

kをセキュリティ・パラメータとする。Π = (G,E,D) を、次を満たす平均多項式時間確率アルゴリズム3つ組とする。

G は鍵生成アルゴリズム (key generation algorithm) と呼ばれ、1k を入力されると公開鍵秘密鍵ペア (pk,sk) を出力する。
Eは暗号化アルゴリズム (encryption algorithm) と呼ばれ、G の出力した公開鍵 pk と平文と呼ばれるビット列 m を入力されると、m の暗号文(Ciphertext) を出力する。
D は復号アルゴリズム (decryption algorithm) と呼ばれ、G の出力した秘密鍵 sk と E の出力した暗号文 C とを入力されると平文を出力する。
Π = (G,E,D) が後述する正当性を満たすとき、Π は公開鍵暗号方式であるといい、後述する秘匿性をさらに満たすとき、公開鍵暗号方式は安全であるという。
あの付く言葉
四字熟語集
夏目漱石集
妊婦さんの豆知識
日本の美術
大好き昆虫
日本の詩歌
長寿祝い
つらい・花粉症
おいしいお菓子
病理学
宇宙船
スノーモービル
心臓病
脚本
腎臓病
光学
陶芸
ボランティア
ブーメラン

要件 [編集]
公開鍵暗号方式は二つの要件、正当性と秘匿性とを満たさねばならない。

正当性 [編集]
定義
Π = (G,E,D) が以下の条件を満たすとき、Π は正当性を満たすという :
任意の平文 m に対し、Pr((pk, sk) ← G(1k), C ← Epk(m) : Dsk(C) = m) は圧倒的 (overwhelming) である。

秘匿性 [編集]

識別不可能性 [編集]

直観的な定義 [編集]
M0、M1 を攻撃者が指定した2つのメッセージとし、C を M0 もしくはM1 を暗号化した暗号文とする。

このとき、攻撃者は C が M0、M1 のいずれを暗号化したものであるかを (1/2よりも有意な確率で) 知る事はできない。

厳密な定義 [編集]
O1, O2 を2つのオラクル、b をビットとする。

暗号に対する攻撃者 A を用いて次の実験 (Experiment, ゲーム (game) ともいう) をする。

2009年06月08日

出家の儀式

出家の儀式は、俗人→僧という単純な構図によって行われるのではなく、俗人→タムクワン儀式→僧という段階を伴うものである。
タロット リフレ 園芸 学習 教材 プリスクール 信越北陸 脱毛 公園 脂肪吸引 SOHO 離婚 税理士 ブログ 老人 お土産 精神医学 飲料水 教育 水族館 ステイ 近畿東海 メイク キャッシング フレグランス 弁護士 バイク 精神医学 生活 インポ 不用品 学習 精神医学 家庭教師 予約 語学 キャンプ場 プチ整形 開業 弁護士 不動産 興信所 精神医学 贈答品 インポ 墓地 音楽 旅行 教材

まず第一段階としてタムクワン儀式が行われる。タムクワン儀式とは黄衣を着る前に、白い服を着、宗教的儀式を経てピー(精霊)を入れ、髪を落とすという一連の儀式である。タムクワン儀式にはタイ族が仏教を信仰する以前のピー信仰(精霊信仰)の名残があると言われる。この期間における出家志望者は俗人とも、僧ともつかぬ状態であると定義できる。

タムクワン儀式における最後の儀式としては、パーリ語の経文を唱えることである。この経文の暗唱が終われば無事黄衣を着ることを許されサンガに入るのである。

僧はいつでも還俗することができ、その意思が妨げられることはない。 還俗すると決めた場合、まず住職と両親にまずその意思を告げ、さらに法を教わった教師の僧に敬意を示し、花を送る。その後、吉日に還俗式を行う。

還俗式では、パーリ語によって、還俗する旨が述べられると、住職により袈裟が外される。その後、世俗の服に着替え、もう一度住職に対面し五戒を賜る。

その後数日間、還俗した者は寺に住み続けて寺院の掃除を行い、修行中の穢れを落とす。吉日、占星師に占わせた良い方角から寺を出る。

2009年04月24日

ところ天の助

旅行・水族館関連旅の宿泊総合
アリコベール美的生活リンクサイト
建売・信託関連ビジネスジャンプCOM
ページワンライフスタイルパートナー情報
アレルギー・薬学関連ようこそ健康サーチ
ニユーロンドンショッピング買物サーチ
スーパーまなび学習ネット
キャンプ場・ホテル関連全国地域情報総合
ぷらすワンコスメ販売検索エンジン
信託・弁護士関連おまかせビジネス情報

ところ天の助(ところてんのすけ)は、漫画『ボボボーボ・ボーボボ』『真説ボボボーボ・ボーボボ』に登場する、架空のキャラクター。

身長は基本的に自在。体重は45パック分(何の45パック分かは不明)。足のサイズは400平方cm。誕生日は10月10日の天秤座。(アニメでは10月5日)。血液型はライチ型。年齢は賞味期限切れ(ところてん暦34年)。チャームポイントは「おいしそうな見た目」。「ぬ」の文字が入ったハンカチを愛用していて、かなりの「ぬ」マニア。防御するときはいつも「ぬ」のハンカチガード(破れるたびに直して使いまわししている)。好物はししゃも。趣味は料理。特技はプルプル真拳と独唱。嫌いな物は「ね」。尊敬する人は自分自身。ヘッポコ丸とは仲が良く、たまに「とこ屁組」でコンビを組む(ただし、強さの面だけはヘッポコ丸からあてにされていない)。バラバラになろうが、粉々になろうが蘇ってくるため、ほぼ不死身である。実は身体の95%がところてん、残り5%はゼリーでできている。

自分自身がところてんなせいか、主食勝負にところてんを参戦させたり、ほかの食べ物キャラが活躍するとそのキャラがところてんから主食の座を奪おうとしていると思い込んで自分も活躍しようとしたり等、ところてんを大衆に馴染ませようとしている部分もある。ちなみに自分自身はところてんを主食として食べているわけではない(本人曰く、カレーとかを食べているらしい)。

プルプル真拳の使い手で、戦闘力はそこそこある模様。証拠としてAブロック副隊長のカツを一撃で倒したこともある。(主戦力の一人だが、ボーボボや首領パッチと比べるとツッコミ役やいじめられ役に回る事が多い)。ただし、なんやかんや敗北した回数も決して少なくはない。

3バカの中では恐らく一番まとも。実はメンバー最年長と思われる(能力扱いのエクストラダンディ=地雷ダンディと年齢不明のガ王・サービスマン・つけものを除く)。本人の「ところてん歴34年」という発言から実際の年齢は34歳ということが推測される。

体の色が水色で、眼の色が原作とアニメとで違う(原作では青、アニメではオレンジ)。

『キン肉マン』やその関連作品のパロディをやる際には、テリーマンの立場になることが多い。(旧作では、マッスル・ドッキングを行ったり、シューズの紐が切れたりしている。『真説』では、マスク狩りによって現れた正体がテリーであった。)

ボーボボたちが移動手段に困る度に「ぬ」の乗り物を出しているが、その都度ソフトンが出した乗り物(ウンコを模したものであるため、作中ではそのまま「ウンコ」と呼ばれている)に負けている(『真説』ではハンペンも同じ目に遭っている)。

元々は奥義2(第一部2話目)における一発キャラだったが、彼がボスのAブロック編では作品初の長期戦が繰り広げられ、仲間になった後はヘッポコ丸から出番トップ4の座を奪い(他の3人はボーボボ、ビュティ、首領パッチ)、第一部中盤は主人公のボーボボを人気投票で上回っていた。このように一発キャラから主人公と互角以上の人気を誇るメインキャラに昇格したキャラは類を見ないと言える。

カップヌードルにお金を入れて三分待つことで「ぬー$(ヌードル)の戦士」に変身できる。

2009年04月07日

アウト・キャスト

アウト・キャストは、1966年春に結成されたグループ・サウンズ(GS)のバンド。所属は渡辺プロダクション。

メンバー [編集]

前期 [編集]
水谷淳 - リードギター、ヴォーカル(後のスタジオミュージシャン、作曲家水谷公生)
轟健二 - ヴォーカル、フルート(後の音楽プロデューサー松崎澄夫)
大野良二 - ベースギター(後にレコーディング・ディレクター)
中沢啓光 - ドラムス
前期脱退メンバー
藤田浩一 - サイドギター(後に作曲家、音楽プロデューサー、音楽事務所社長)
穂口雄右 - オルガン(後に作曲家、音楽事務所社長)
片桐 ※下の名前は不明

後期 [編集]
1968年4月の再デビュー時以降のメンバー。前期メンバーだった水谷、轟は「アダムス」というバンドへ。
大野良二 - ベースギター
岡本修 - ボーカル
谷かつみ - リードギター(後にジャニーズ事務所へ移籍。トニー谷の次男)
菅野吉治 - ベースギター
朝倉幸夫 - ドラム

沿革 [編集]
エレキバンドのブルーエースに在籍していた水谷と大野が中心となって結成される。

当初はゲストヴォーカルを迎える形であったが、ゲスト参加していた轟を正式メンバーとして迎えグループサウンズとしての形がまず整い、藤田の参加で陣容が揃い渡辺プロダクション初のグループサウンズとして1967年にデビュー。

しかし1967年夏に藤田、秋に穂口が離脱し、4人となって活動していたが1968年3月には解散。大野は渡辺プロダクションを離れ、新たなメンバーで新生アウトキャストを再興するが、1969年には活動を終えたという。

後にスタジオミュージシャンや音楽プロデューサー、職業作家となるメンバーも多く、実力はあったが人気に恵まれないグループサウンズの代表格とも言われており、当時は評価されなかった。後年になり「電話でいいから」や、アルバム収録の「のっぽのサリー」が“日本最古のガレージパンク”と再評価され、未発表曲などまでCDによる再編集版に収録されるに至っている。

ディスコグラフィー [編集]
シングル [編集]
友達になろう/気ままなシェリー (1967年1月25日)
愛することは誰でもできる/電話でいいから (1967年4月)
レッツ・ゴー・オン・ビーチ/エンピツが一本 (1967年7月)
一日だけの恋/僕のそばから (1967年10月15日)
愛なき夜明け/ふたりの秘密 (1968年1月10日)
空に書いたラブレター/君を慕いて (1968年6月5日)※新生アウト・キャスト

アルバム [編集]
君も僕も友達になろう (1967年11月10日)

サクソニ ルンバー ソブー ミルク てやり ライフ レビス 待ちぼう マジシャン 青春 オーバ フェー スクリュー ディトム チグリ ファーレ レギュレ レゾナ クホス フェムド オタク サテュロス マキシ るもい ステッチ チヂミ ボート トップ ジャッ 大同情報 ジュラル ストロ カバオ ルビー ブロー キング イラマチオ 月夜の オブシデ ジップ ギモーブ マッチ 幸運快適 つる菜 ラナイ メコン リイシュー スラッシ ローテー だて

2009年03月23日

クイル式駆動方式

クイル式駆動方式(クイルしきくどうほうしき、英語:Quill drive、ドイツ語:Westinghouse-Federantrieb)は、鉄道車両で電動機などの動力伝達に用いられる無装架駆動方式の一方式である。

本項目ではクイル式の他、車軸側に中空軸を備える他の駆動方式も取り上げる。
バポス ランパン スモーク ワード ねじめ ブルー ケチャ ゴム編み じゃっこ リッチ マリンスノ ラーマー パブコメ フェテ タリア 森の小人 ザイール パパ シエナ ユニット アセビ ムスク フォルタ メンテ ミサンガ ディス ジーンズ ニュート ブラッシ ブロック タイチュー ブルネット フラワー チュート ダブル クーチュ エアリアル スワジ 地平線 セミオート パテント 黒いカバン リンパ バトン 人魚姫 ハンドガン ラスプーチ スイン クラウト ターテー

クイル式駆動方式 [編集]
1930年代後半にWNドライブを開発したウェスティングハウス・エレクトリック社によって開発され、有名なGG1形を筆頭とするペンシルバニア鉄道の電気機関車に多用されたほか、フランス・ドイツ・イタリアなどでも電気機関車に採用された。

この方式では、主電動機を弾性支持された台車枠上に固定し、これにより同じく台車枠に対して位置関係が固定された、クイル軸と称する中空軸に嵌めた大歯車を駆動する。

この中空軸には大歯車内に収まるよう、6本ないしは8本のスパイダと呼ばれる支持腕が取り付けられており、これらを中空軸内に通した車軸に取り付けられたスポークと回転方向に伸縮可能なよう、コイルばねで連結することで台車枠と車軸の位置関係の変化によらず駆動力を伝達可能とした。

その機構は電車の中空軸平行カルダン駆動方式に類似するが、大歯車内にスパイダがあってここが変位する関係でギアボックスを密閉できないという弱点があり、日本の国鉄では大歯車のスパイダ穴にたまった砂や埃による磨耗から噛合いが悪化することで異常振動が多発するなどの問題が続出したため、国鉄EF60形電気機関車の2次形以降は吊り掛け駆動方式に変更された。また、その後クイル式であった機関車の大部分は下記のリンク式に改造されている。

もっとも、アメリカでは前述のGG1形が1980年代に廃車されるまでクイル式のままで使用されており、その他の採用例でもこのシステムが原因で短命に終わった例は少なかったことから、日本のED60・61形などについて、駆動装置の設計が適切になされておらず、またそれを保守する側のインフラが十分整備されていなかったために問題が悪化したことを指摘する意見がある。

リンク式駆動方式 [編集]
リンク式は、上記のクイル式の弱点を改善したもので、車軸と大歯車の双方から腕が4本ずつ出て、その腕にゴムを介して8個のリンクが装着され、リンクを介して駆動する方式。ギアボックスが密閉され、メンテナンス性が改善された。

ED60・61形のクイル式駆動装置の改修時に採用されたほか、EF200形は製造当初から、この方式を採用した。

もっとも、それ以降に登場した新型機関車は従来通りの吊り掛け駆動方式に戻されている。

中空軸可撓吊り掛け駆動方式 [編集]
国鉄EF66形電気機関車を特徴付ける駆動方式で、日本ではEF66形が唯一の採用例である。中空軸の中を動軸が通り、中空軸に大歯車が付き、中空軸からは左右に8本ずつピンが伸び、ゴムを介して動輪に挿入される。クイル式、リンク式とは異なり、モーターの重量は台車枠と中空軸に掛かり、これは従来の吊り掛け駆動と同様だが、車輪からの衝撃は軽減される。動力の伝達順はモーター→小歯車→大歯車→中空軸→ピン→ゴム→動輪。この駆動方式はドイツでは電気機関車、電車、共に広く使われている。

直角中空軸積層ゴム駆動方式 [編集]
ドイツ製LRT(コンビーノ、等)に採用の駆動方式。モーター、ギアボックスは台車枠より外側に固定され、大歯車と車輪側から6本ずつ腕が伸び、腕の間に積層ゴムを挟み、積層ゴムで変位許容と駆動を行う方式。日本ではドイツ製の広島電鉄5000形電車に採用。台車横のカバーを開けると腕や積層ゴム等、駆動装置の様子を観察できる。なお、日本製の広島電鉄5100形電車(JTRAM)はWN継手式直角カルダン駆動方式である。

2009年03月08日

プリンス・ホール(黒人ロッジ)

過去に「非正規」派として知られていたのが、アメリカの黒人によるグランド・ロッジ(プリンス・ホール系)である。1784年9月20日、ボストンで設立された。こちらも1787年に一度イングランドのグランド・ロッジから認証を受けていた。しかし、活動が休眠状態となり、納付金滞納を理由に1813年に認証を取り消された。
1827年、活動を再開し納付金支払いを英グランド・ロッジに願い出たが、英側はこれを無視した。やむなく、同年6月28日、独自のグランド・ロッジ設立を宣言。仏大東社との大きな違いは、黒人によるロッジは、従来の英米系ロッジと全く変わることのない憲章を奉じていたことである。そのため、最初の納付金滞納はともかく、その後支払いを願い出ても相手にせず、英米系ロッジが黒人のグランド・ロッジを無視し続けたことは、英米系ロッジによる人種差別思想の現れといえた。

黒人によるロッジは独自に勢力を拡大し、米国とカナダを中心に、日本にもロッジを設けている。「正規派」が黒人によるロッジを再認証するようになったのは、1980年代も後半になってからである。1994年には、イングランド・グランド・ロッジとの相互認証を回復した[9]。

陰謀論と社会的影響
よく誤解されることだが、フリーメイソンリーはユダヤ系の団体ではない。確かに旧約聖書が儀式に用いられ、ソロモン王など古代ユダヤ系の人物が儀式に登場するが、それだけでユダヤ系、ユダヤ教的とは言えない。また、ユダヤ人の参加も当然あるが、それは団体の理念が人間の理性や博愛にあり(超宗教的思想)、特に近代以前の社会において、日常におけるポグロムの恐怖からの解放を願うユダヤ人にとっては、積極的に参加する動機が十分にあったことによると考えられる。また、ドイツにおいては第一次世界大戦敗戦まで、ユダヤ人を排除したロッジも少なくなかった。

太田龍やオウム真理教(現:アーレフ)の麻原彰晃など、ユダヤ陰謀論者はユダヤ人の陰謀の関連組織として、イルミナティや300人委員会などと並んで非難している。こうしたユダヤ人とフリーメイソンを結びつける陰謀論は、現在は偽書であることが判明している『シオン賢者の議定書』や、ドイツのエーリヒ・ルーデンドルフ、ナチス・ドイツによって広められたものが原形となっているといわれる。前述のように、ドイツのフリーメイソンリーは第一次大戦までユダヤ人を差別していたから矛盾するが、民衆の英仏への反感と結び付いて広まり、特にアドルフ・ヒトラー政権下では猛威を振るった。よって、いわゆる暴露本の情報を元に安易に結論を下すのはするのは避けたほうがよい。

また、都市伝説・陰謀論を扱った書籍・テレビ番組やWEBページなどでしばしば国家の転覆や戦争などを目論む秘密結社として扱われる。これは活動内容がよく分かっていない事やフリーメイソン自体があまり知られていないこと、さらにアメリカ大統領など政財界の大物に会員が多いことに起因すると思われている。日本では後述のように長く日本国内での日本人の入会、日本社会への接触・宣伝が行われなかった中、ドイツ経由などで陰謀論が先に広まり、陰謀論によってフリーメイソンの存在を知った者も多いことからその傾向は強い。

実際問題として、組織としての政治へのかかわりを禁じているといっても、有力者が会員として存在し、また世界的な組織である以上、国際政治に無縁な組織と見なすことは難しい。たとえば、1981年にはイタリアのロッジ・P2が、会員でもあったロベルト・カルヴィらの援助を受け、イタリア共産党を除く政財界の大物と結び付いていた。そして、国際的に反共勢力の援助を行い、さらに国内ではクーデターを企図したことが明るみに出た事件があった(P2事件)。その結果、P2は承認を取り消され、関係者はフリーメイソンリーを追放された。しかし、イタリア政府の設置した特別調査委員会では、P2の背後には国境を超えた黒幕が存在したという指摘がされている。個々のロッジの次元を超えた政治的、社会的活動や陰謀の存在が無いとはいえない。

過去には、第一次世界大戦中、イングランド・グランド・ロッジは、敵国となったドイツ、オーストリア、ハンガリー、トルコ(オスマン帝国)出身者の会員すべてを追放し、戦後もしばらく解除されなかったことがあった。戦後、フランスとドイツのフリーメイソンリーが両者の親善を協議したものの、戦争犯罪については意見が折り合わなかった。このように、フランス系は元より、政治と距離を置く正規派(英米系)においても、政治の影響は避けられなかった。

ただ、フリーメイソンを扱った陰謀論では、偽書『シオン賢者の議定書』を証拠としたもののように、明らかに不合理な内容が多いのである。
ドタキャン ターム みゅすか オプテ オースト ヌクレ バコマ ソプラ シャン ライナ オオボ チョン ネコン ブロス ロード おおだま バリア チャーム ヤブコウジ シアター 風模様 フェニック ジェット サーチ群青 トウバ マルア コンバレー サンベ ジャンパ アパチャー フィジカ キュリー スカンジ シガー タワナ マンガ グーイ デュオ トリレ ラジアン ピーチ パール チーム ビースト オシロ エリトリア トラッ トデー 樹やしき リュウノヒゲ

起源
中世イギリスの石工職人のロッジ説
1360年、イギリス、ウィンザー宮殿の建造の際に徴用された568人の石工職人達が、数百年に渡るゴシック建築のプロジェクトを遂行しようとしたときに自分たちの権利・技術・知識が他の職人に渡らないようにロッジで暗号を使用したのが始まりとされる。成立の時期は諸説あるが、石工組合説が現在の通説である。なお、ロッジとギルドはしばしば混同されるが、厳密には別のものである。ギルドは自治都市を基盤としていたため、よそ者に排他的だった。しかし、石工は工事の状況に応じて雇用する必要があり、工事現場を渡り歩く職人も珍しくなかった。そのため、古くからロッジ間の交流があり、また他所のロッジに出向く時に同業者を見分ける手段として、暗号や符丁が発達したのである。もっとも、中にはギルドとロッジが同居している場合もあった。また、ロッジという形態を生んだのはスコットランド・イングランド・アイルランドだけで、さらに現在のフリーメイソンリーに発展したのは、直接的にはほぼスコットランドのみとされている。他の地方では、最後まで文字通りの石工のギルドとして存在した。
テンプル騎士団説
1118年、聖地エルサレムへの巡礼者の保護を目的としてフランスで結成されたテンプル騎士団の生き残りが建てた組織と言われている。元々の設立メンバーは9人の騎士だが、貿易や金融業で莫大な富と権力を有し、巨大組織となった。しかし14世紀、当時のフランス王フィリップ4世の奸計により壊滅状態に追い込まれ、スコットランドに逃げ延びた騎士達がその地で新たに作った組織がフリーメイソンリーになったという説もある。スコティッシュ・ライトによる位階が広く用いられているのはそのためであるとされる。
ソロモン神殿建築家説
ソロモン神殿の建築家を起源とする説はフリーメイソンリーの自称である。ソロモン神殿建築の際の建築家棟梁ヒラム・アビフが建築家集団を「親方」「職人」「徒弟」からなる集団に分け、それぞれに秘密の合言葉や符牒を定めて仕事に当たらせた。神殿伝説を参照。
近代設立説
起源がどこにあるにせよ、現代のフリーメイソンリーの発足を1717年6月24日のロンドン、グランド・ロッジの結成とする説。これはこのロッジの結成を転機としてフリーメイソンリー自体の性格が大きく変貌を遂げるからである。そして1723年、ジェームズ・アンダーソンにより「フリーメイソン憲章」が制定された。

2009年02月19日

新スタートレック

『新スタートレック』(しんスタートレック、Star Trek: The Next Generation、略称TNG)は、アメリカのSFテレビドラマシリーズ。『スタートレック』シリーズの2番目の作品。1987年から1994年にかけて放映された。
ション トリソウ コホシュ 砂漠 スタディ イライン リセッセ シミュレ タリオ ドライシ アカネス 晴レルヤ グレープフ イナル タラップ クォーラム ウンセケ ブルート シュガ オートク しむか かんげん ボール 海辺の扉 ブィク バック ミディア 蛍の光 スクリュ 天喜人気 チーズ セラピー ゴリラ コレク ブックパカ テクタイト スローピン サンダー タータン ガイドヒヒ シトリン プリ マップ テークオフ シュビル クイヤン バンド トピック SEOタウンテニス シーディー

放映終了後も根強い人気を持っていた『宇宙大作戦』の、放映終了18年後に作られた続編となる。続編ではあるが、時代を約80年後に設定し、登場人物を総入れ替えした「次世代」の物語であり、当初はファンの間でも賛否両論であった。しかし、統一した世界観を持ったことで前作のファンに受け入れられると同時に新しいファン層も獲得し、放映7年に及ぶ人気作品となり、スピンオフシリーズ (DS9、VOY) の制作や映画化につながっていった。

女性の社会進出が広がったことを受け、前作に比べて女性士官の登場、活躍の機会が大幅に増えているのも特徴の一つである。ビバリー・クラッシャーのように艦内の部門の責任者を務め、他の上級士官の不在時にブリッジの指揮を執るエピソードもあった。女性の艦長・提督もゲストでは頻繁に登場するようになり、後の「ヴォイジャー」では女性の艦長がシリーズの主役を務めるまでに発展する。

宇宙大作戦では敵役としてクリンゴン人が人気を得たが、本作でも強敵ボーグの登場がシリーズの人気獲得に大きく貢献した。また、SF的なアイデアを盛り込んだ小道具としてはホロデッキの登場が作品世界を拡げた。ホロデッキ内の仮想世界という設定で、宇宙船内では存在し得ない情景や人物も時間・空間を問わずストーリーに無理なく組み込むことができ、演出面の制約はほぼなくなっている。

ジェイムズ・カークがU.S.S.エンタープライズを率いて5年間にわたる歴史的な調査飛行を終えてから約80年後の24世紀、その艦名を受け継ぐ惑星連邦宇宙艦エンタープライズ(U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-D)は冷静沈着なピカード艦長指揮の下、時に人類未踏の星域への探索に、時に惑星連邦周辺諸国との交渉にと銀河を飛び回る。冗談と女好きなライカー副長、人間になることを望み、学ぶアンドロイドのデータ、惑星連邦とクリンゴン帝国との間で悩めるクリンゴン人ウォーフなど個性的なキャラクターたちが活躍する。

1987年9月28日 - 1994年5月23日放映(本国での放映日)。全7シーズン、178話。初回、最終回をはじめ、前後篇に分かれる大作エピソードもいくつかある(本国での放映では時間枠自体が通常の2倍ある場合や、シーズン最終話と次シーズンの1話目にまたがる場合(クリフハンガー方式)が多かった)。

日本では、地上波での放映は深夜枠での放送が大半でかつ枠の移動が多く、CS放送での放送が始まるまでは、確実に視聴できる環境はなかなか整わなかった。

なお、日本語吹き替え版では「銀河系級(他のエピソードではギャラクシー級)の宇宙船」(第37話「埋もれた文明」)など、一部に訳語の不統一や誤訳が見られる。

登場人物
階級、職業は第1シーズン、または登場時のもの。

レギュラー
ジャン=リュック・ピカード(パトリック・スチュワート)(日本語版での声:吉水慶 / 麦人)- 艦長(大佐)。地球人男性。
ウィリアム・ライカー(愛称“ウィル”、“No.1”)(ジョナサン・フレイクス)(大塚明夫)- 副長(中佐)。地球人男性。
データ(ブレント・スパイナー)(大塚芳忠)- オペレーション担当、主任パイロット、第2副長:夜間セクション担当(少佐)。アンドロイド。
ジョーディ・ラ=フォージ(レヴァー・バートン)(星野充昭)- 操舵士→機関部長(中尉。後に大尉、少佐)。地球人男性。
ウォーフ(マイケル・ドーン)(銀河万丈)- 保安部員→保安部長(中尉。後に大尉、少佐)。クリンゴン人男性。
ビバリー・クラッシャー(ゲイツ・マクファーデン)(一城みゆ希)- 医療部長(中佐)。地球人女性。
ディアナ・トロイ(マリーナ・サーティス)(高島雅羅)- カウンセラー(少佐。後に中佐)。ベタゾイドと地球人のハーフ、女性。
ナターシャ・ヤー(愛称“ターシャ”)(デニス・クロスビー)(沢海陽子)- 保安部長(大尉)。地球人女性。
ウェスリー・クラッシャー(愛称“ウェス”)(ウィル・ウィトン)(石田彰)- ビバリーの息子(代理少尉。後に少尉)。地球人男性。

セミレギュラー
マイルズ・オブライエン(コルム・ミーニー)(辻親八)- 転送主任(准尉)。地球人男性。
ガイナン(ウーピー・ゴールドバーグ)(東美江)- バーテンダー。エル・オーリアン女性[1]。
キャサリン・ポラスキー(ダイアナ・マルダー)(谷育子)- 医療部長(中佐)。地球人女性。
ロー・ラレン(ミシェル・フォーブス)(藤木聖子)- 操舵士(少尉)。ベイジョー人女性。
Q(ジョン・デ=ランシー)(羽佐間道夫)- 高次元生命体(Q連続体)。見た目は男性。
レジナルド・バークレー(ドワイト・シュルツ)(田中秀幸ほか[2])- 機関部員(中尉)。地球人男性。
アリサ・オガワ(パティ・ヤスタケ)(岡部美和ほか)- 医療部員(少尉)。地球人女性。


^ ウーピー・ゴールドバーグは前作に登場したウフーラ中尉および演じたニシェル・ニコルズへの憧れから俳優を志したほどのトレッキーであり、彼女の方から出演を熱望したという逸話がある。ギャラは米俳優協会が定める最低賃金であり、彼女にとってはノーギャラ同然であるが、嬉々として演じたという。
^ TNG本編以外では異なる(参照)。

スタッフ
企画:ジーン・ロッデンベリー
製作総指揮:ジーン・ロッデンベリー / リック・バーマン
主題曲:ジェリー・ゴールドスミス

映画
TNGシリーズとしての映画作品は、以下の4作。なお、2009年公開予定の次回作 Star Trek XI (仮題)はTNGシリーズではない。

ジェネレーションズ (Star Trek: Generations)(1994年)
ファーストコンタクト (Star Trek: First Contact)(1996年)
スタートレック 叛乱 (Star Trek: Insurrection)(1998年)
ネメシス/S.T.X (Star Trek: Nemesis)(2002年)

小説
テレビシリーズ・映画のノベライズ作品の他、独自ストーリーの作品も多数書かれている。初期の作品ではTOSの『宇宙大作戦』シリーズに対し、『新・宇宙大作戦』シリーズとなっていた。ただしST7のようにどちらとも言いがたい、解釈できる場合は『宇宙大作戦』となっている。邦訳はハヤカワ文庫など。

関連項目
ダーモク語 - 作中の架空言語。
マイケル・オクダ - 惑星連邦のコンピュータシステム (LCARS) などをデザインした。
スティーヴン・ホーキング - 「ボーグ変質の謎」(Descent)に本人のホログラム役として出演した。
機動戦艦ナデシコ - 劇場版のブリッジ設定画やイメージボード多数にLCARSを模したアクセスコンソールが描かれている。
今川泰宏 - トレッキーとして有名。自身の監督作品『機動武闘伝Gガンダム』においてボーグのモチーフを取り入れている。

2009年02月03日

庵原氏(いはらし)は、駿河国部の有力な豪族

庵原氏(いはらし)は、駿河国部の有力な豪族の1つである。出身に諸説あり、別の氏族とされるが不明。
こどまり バーベキュー スターライト ハンバ むぎわら ヘデラ スクエア レポレート タチアオイ かささ あとがま レムリア 紙飛行 モノカイ サフル サウジ ラノオ ダクション かしはら デコラ フルス レべリング クンツ フェライト かぶとが ピンチ ナビユタ わらび野 コロポ リパー ライセ あねご トーテム 世界一周 しゃな ロコモー シュー ファーム てごろ ンソウ ドライ リード オミット ドルチェ イズム セッティ スイート ハジサー つきほと 桃一郎

庵原国造を祖とする庵原氏(吉備氏族)
庵原氏は廬原国造の家系である。日本書紀の伝えるところによると景行天皇の時代、日本武尊東征の際の副将、吉備建彦が蝦夷征伐の功によりこの地(駿河国)に封ぜられる。廬原国造の祖、意加部彦は吉備建彦の子、建彦は日本武尊の外舅なり、とある。以後永くこの地を治め、倭国の将としても度々歴史上に登場する。663年中大兄皇子の外征「白村江の戦い」では、この一族の廬原君臣が一軍の将として戦った。天智紀二年條に「大日本の救将廬原君臣が健児万余を率い、正に海を越えて至る」との記述があり、常時かなりの勢力を誇っていた。後に菴原の字を用い、後世は多く庵原の字を用いた。室町時代になると今川氏傘下に入るものの、地方豪族としての勢力は衰えなかった。「今川仮名目録」には明応の頃、庵原周防守という人物が親族間の借金問題で今川氏親に仲裁を求め、今川は貸主の庵原左衛門に周防守の料所のうち焼津郷を引き渡して分家させこれを収めたという記述があり、駿河に複数の庵原家があって一族がこの地で栄えていたことが伺える。 1560年の桶狭間の戦いで今川勢とともに一族多数を失った後、戦国大名としての今川氏が滅ぶと一族も離散する。最後まで今川に殉じた者、甲斐武田へ仕官した者、徳川に仕官して幕臣となった者など、系譜は多岐にわたる。地元駿河が後に徳川幕府の御領となってからも庵原家は地頭として焼津郷に存続し、明治を経て昭和までこの地に系譜が残っていた。

寛永諸家系図伝や江戸時代の幕臣録などでは庵原家系の本姓を越智氏と記しているものが多いが、これは古事記にある系譜に基づいたためと考えられる。また、意加都彦命の父を日子刺肩別命とし、孝霊天皇の裔であるとする説もあるが、この説をとった場合、日本武尊の東征との整合性がなくなり、意加都彦命(この説によると天皇の孫)が何故当時は辺境であったであろうこの地で庵原国の祖となったのか説明できなくなってしまう。さらに日本武尊と駿河地方に伝わるその伝承とも矛盾する。孝霊天皇皇子については稚武彦と彦狭島を混同している例もあり、孝霊天皇裔説は信用できないとする記述が後年の姓氏録などの資料にある。 「国造本記」には「廬原国、吉備建彦命の児、伊加部彦命を以って国造と定め賜う」と記述があり、駿河庵原氏に関しては吉備氏族とするほうが自然である。

藤原秀郷流・庵原氏
藤原秀郷の子孫・蒲生惟俊(近江蒲生氏の祖)の子・庵原俊忠が駿河国庵原に住み、庵原氏を称したという。後に重臣として今川氏に仕え、庵原城主。今川義元に仕えた名軍師の太原雪斎を輩出し、また最後まで忠誠を尽くした今川家の重臣・庵原将監もこの家の出身である。武田信玄の駿河進攻に際しては一族で抵抗したが敗退している。今川氏滅亡に前後して一族は離散し武田家などに仕えた。武田氏に仕えた庵原朝昌は、後に井伊直政に仕えて大坂の役で活躍。以後彦根藩家老となり、幕末には庵原朝儀の名がみえる。

坂上田村麻呂流・庵原氏
坂上田村麻呂の末裔・土師維正の子・正雄が庵原三郎を称したという。治承・寿永の乱では庵原朝綱が出ており、源頼朝の御家人となっている。しかし中先代の乱において北条時行に加担し、今川範国に討伐されたため、家は途絶えたという。「朝」の通字や、左衛門尉の仮名から、名跡は藤原秀郷流の庵原氏が継いだと思われる。

藤原南家流・庵原氏
藤原南家の後裔と伝わる。やはり駿河国に住し今川氏に仕えたが、庵原元親は主家衰亡後に北上して片倉景綱や伊達政宗に仕えたという。

2009年01月20日

広義のロック

最広義のロックからソウル/R&Bを除いたものをロックとして捉える定義。アメリカではラジオ局がロックとソウル/R&Bで分かれていることや、レコード店の商品陳列がこの定義に従っていることが多い為、もっとも広く浸透している定義である。この定義を採用した場合、ブルー・アイド・ソウルをロックに含めるかソウルに含めるかは人によって考え方が異なる。

狭義のロック(日本で広く浸透している「ロック」)
上記の「広義のロック」から「ポップス」を除いたものをロックとして捉える定義。日本ではこの定義が比較的広く浸透している。

ここで言う「ポップス」は一般に、(1)自作曲中心でない、(2)バンド(ギター、ベース、ドラムスが主となる)という演奏スタイルでない、(3)アーティストの自主性よりもレコード会社の主導性が強いなどの特徴を持つものとされる。

つまりここで言う「ロック」は、

曲を自作
バンドスタイル(ギター、ベース、ドラムスが主流)の演奏
アーティストの自主性で成り立つ
そして、尚かつソウル、R&Bなどではないということである。

この定義の中のロックは、現在では様々な音楽性のものがあるが、どれもその音楽に影響を与えた音楽を辿っていけば、アメリカで生まれたロックンロールの派生やその血を受け継いでいるものであることが分かる。(ロックンロールとは、1950年代黒人音楽と白人音楽の融合により、アメリカでエルヴィス・プレスリーなどアーティストの手により作られたロック音楽の原点)

具体的にどのアーティストがロックでどのアーティストがポップスかは人によって考え方が異なる。尚、ウィキペディア日本語版や各国のウィキペディアにおいて、(特に)日本のロックの定義を狭義のロック、または最狭義のロックで執筆されているケースが横行している為、様々な不具合が生じている。また、ポップスの定義においても様々な評論があり、これもまた、不都合が生じる原因となっている。

最狭義のロック
狭義のロックを、1950年代のものと1960年代以降のものに分け、前者をロックンロール、後者をロックとして捉える定義。特に日本において、ロックをカウンターカルチャーの精神性を伴う音楽として捉える人々の間で広まっている定義である。その中には、ロックを音楽として認識しているケースが少なく、フォークであろうがどんなジャンルであろうが、カウンターカルチャーであればロックといった定義が存在する。が、しかし、その定義に全く当てはまらない最狭義のロックの定義も存在する。つまり、最狭義のロックの定義とは、あまりにも不明瞭な定義である。

尚、この定義とはやや異なるが、1950年代のものだけをロックンロールと呼び、それをロックの中のサブジャンルとして捉える考え方もある。この考え方は、最広義・広義・狭義のいずれの定義に対しても、そのヴァリエーションとして通用する。

ロックの誕生から現在まで

ロックンロール(1950年-1960年)
ロックンロールがいつ誕生したかについては諸説があるが、少なくとも1954年にビル・ヘイリーの “ロック・アラウンド・ザ・クロック” のヒットや、チャック・ベリー、リトル・リチャードの登場によって、ロックンロールはアメリカのポピュラー音楽における一大潮流のひとつとなった。同年にサン・レコードからデビューしたエルヴィス・プレスリーが1956年に大手RCAに移籍して大スターになったことにより、その影響力は決定的なものとなりバディ・ホリー、ロイ・オービソン、エヴァリー・ブラザーズらが続いた。

1959年頃からロックンロールは徐々に洗練化を進める。アーティストによるオリジナル・ソングやブルースのカヴァーを中心としたレパートリーに代わり、ロックンロール向けの新曲を提供する音楽出版社が台頭し、ストリングスなども導入されるようになった。この流れをブリルビルディング・サウンドと呼び、この頃から “ロックンロール” に代わって “ロック” という呼び方が一般化する。

この時期の詳細についてはロックンロール、ロカビリーを参照。また、ロックンロールのルーツ、或いはこの時期以降についてリズム・アンド・ブルース、ブルースも参照。

サーフィン・ホットロッドとリバプール・サウンド(1960年-1964年)
ロックにおいてはサウンドの洗練化がある程度まで進むと、それへの反動としてプリミティヴなパワーを持ったギター・サウンドの復権が起きるという流れが何度か繰り返されている。その最初の例が、ブリルビルディング・サウンドに対するサーフィン・ホットロッド・サウンドの登場である。

ロックはボーカルを中心とするサウンド作りを基本とするが、ロックンロール黎明期からインストルメンタルの作品も存在した。その場合に中心となる楽器はエレクトリックギター、サックス、オルガンなどだが、次第にエレクトリックギターが主役の座に着く傾向が強まった。この傾向は1958年に登場したデュアン・エディと1960年に登場したベンチャーズによって確定的になった。

こうした流れを受けてカリフォルニア州の若者たちの間で1961年頃から流行したのが、サーフィンをしている時の感覚をエレクトリックギターを中心としたインスト音楽で表現したサーフ・ミュージックである。当初はインストであったサーフ・ミュージックにボーカルを付けたのがビーチ・ボーイズである。ビーチ・ボーイズの登場によってサーフ・ミュージックは一挙に全米に広がった。また、間もなく歌詞のテーマはサーフィンだけでなくホットロッド・レース(アマチュアによる公道での自動車レース)にも及んだ為、これらの音楽をサーフィン・ホットロッド・サウンドと呼ぶ。

一方のイギリスでロックンロールの影響は徐々に広がっていった。1950年代のイギリスではスキッフルが流行していたが、スキッフルのミュージシャン達は、次第に自分達のサウンドにロックンロールの要素を取り入れていった。スキッフルと呼ぶよりはロックンロールと呼ぶ方が適切であるようなイギリスの音楽は1958年にデビューしたクリフ・リチャードを源泉とする。そして、1962年に登場したビートルズによってその流れは確実なものとなった。彼らの登場後、次々とフォロワー的なビート系バンドが登場した。その多くがビートルズの出身地であるリバプールのバンドだったため、リバプールサウンド(もしくはリバプールを流れる川の名前からマージー・ビート)と呼ばれている。
ビレッジ ジュレーター ララバイ 幸せの鳥 モノライン ギンヌン オプシン レンズ じゅん ナッパ トマト データ リデュース ピンサロ ブッフェ ニング エンド ちゃうす デンド ドライブ クロマ レトロ シロホン タンタン オーダ キットキ メソポ オフデ スイス デシベル ノニ チョコ ムルデ ジャバ オパール ソワニ カノン カキラン ニズム ロード フィード シュルント ミードテ リニアック たてあな ランナ バギナ パイント ドスキン ヨーデル

ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロック(1964年-1965年)
1964年、ビートルズはロックンロールの本場であるアメリカへの上陸をはたし、そのサウンドは全米を席巻することになった。ビートルズ以外にも、エリック・バードン率いるアニマルズやローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクスといったイギリスのロックバンドなどがこの時期つぎつぎとアメリカでヒットしたことから、これをブリティッシュ・インヴェイジョン (British Invasion: イギリスの侵略)と呼ぶ。

アメリカでもブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けて、後にガレージロックと呼ばれるグループが次々と登場し、一部のバンドは成功を収めた。

また、時を同じくしてブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けたフォーク・グループも次々と登場した。これらのグループの多くは元々はフォークを演奏していた若者たちによって結成されたものであり、彼らの音楽性もフォークからの影響を消化したものだった為、この動きはフォーク・ロックと呼ばれる。フォーク・ロックの代表的アーティストは、ボブ・ディラン、バーズ、タートルズ、ママス&パパス、ボー・ブラメルズ、グラスルーツ、(カントリーロックの範疇かも知れないが)バッファロー・スプリングフィールドなどがある。

ここで大切なのは、アメリカにおいてロックンロールやロカビリー以降死滅していたロックというジャンルがフォーク・ロックをもって復活したことである。それは、ロックがほぼ完全に白人音楽へと移行したという意味合いを含むのかもしれない。また、この時期はカウンターカルチャーとしてのロックが数多く誕生した時期でもある。

サイケデリックとロックの多様化(1966年-1968年)
また、この時期に、その後のロックサウンドを決定付けるギターのフィードバックサウンドやエフェクターの一種であるファズが生まれている。それまでは、真空管アンプによるナチュラルに歪んだ音で演奏されていたものが、よりヘヴィな音で表現可能となった。そこで生まれたジャンルの一つに、クリーム、ジミ・ヘンドリックスに代表される強烈にハードなブルースを演奏するブルースロックがあった。これらはファズより少し遅れて流行したエフェクターであるワウをファズと一緒に使用した。

実験的なサウンド作りという手法は次第に他のアーティストにも波及していった。中でも、音楽によってドラッグで起きるトリップ体験を表現するムーブメントが起こった。その幻惑的なサウンドはサイケデリック・ロックと呼ばれた。ドアーズ、初期ピンク・フロイド、ホークウインドなどが代表格として知られる。これらもテープエコーやチェンバーなどといったエフェクターが鍵だった。楽器では、シタールを用いることが多かった。

実験性とは別に、他のジャンルの要素を取り込む動きも盛んになった。ブルースの影響を消化したブルース・ロック、カントリーとの合体を試みたカントリー・ロックなどである。